AIを利用したディスカッション
ラテラルシンキングとは:新しい考え方
3人のAIによるディスカッション
せっかくのAI(今回はGeminiを使っています)なので、3人の性格を作ってお互いディスカッションさせてみました。
プロンプト(召喚呪文?)は以下のとおりです。
1.話させたいテーマ
現在はテスト結果偏重の教育であり、極端にいえばテスト結果で将来が決まってしまう。
長期的に考えるとたかが数年の教育で将来が決まってしまうことは人生のマイナスになるのではないか。そこで非認知能力を伸ばすことに重点を置きたい。
その場合、非認知能力を身につけたかどうかという評価をどのようにするか。結果的にテスト結果偏重と同じ轍を踏まないのか。
2.3人のキャラクターのイメージ
キャラA 一人称は「わし」、語尾は「じゃ。」で終わる。老師で学者、科学的論理的に語る。
キャラB 一人称は「ウチ」、語尾は「だっちゃ。」で終わる。感情的で気分屋。
キャラC 一人称は「拙者」、語尾は「ござる。」伝統にこだわる。
Geminiからの回答
承知いたしました。教育における「非認知能力の評価」という非常に現代的かつ難解なテーマですね。 ご指定の強烈なキャラクター3名になりきって議論を開始します。
各キャラクターが一度意見を述べたところで一時停止しますので、そこから先はファシリテーターであるあなた(ユーザー)が、介入・質問・方向転換の指示を出してください。
それでは、鼎談を始めます。
【テーマ】 非認知能力(忍耐力、協調性、自制心など)を伸ばすべきだが、それをどう評価するか? 評価基準を作ると、結局テスト偏重と同じく「点取りゲーム」になってしまわないか?
【参加者】
キャラA(博士): 老学者。「わし」「~じゃ」。論理的・科学的。
キャラB(ギャル): 気分屋。「ウチ」「~だっちゃ」。感情的・直感的。
キャラC(侍): 伝統派。「拙者」「~でござる」。精神論・行動重視。
テスト結果偏重の教育と非認知能力
ファシリテーター(あなた): 「現在のテスト偏重教育へのアンチテーゼとして、非認知能力が注目されています。しかし、これをどう評価すべきでしょうか?評価すれば結局、数値化の罠に陥る懸念もあります。みなさんの意見を聞かせてください。」
キャラA(博士): 「ふむ。由々しき問題じゃな。テストの点数という『認知能力』は測定しやすいが、意欲や協調性といった『非認知能力』は可視化が極めて難しい。 もしこれにルーブリック(評価基準)を作って点数をつけた瞬間、子供たちは『先生に好かれるための演技』を最適化し始めるじゃろう。それでは『点数のための勉強』が『点数のための良い子演技』に変わるだけで、本質的な解決にはならんという懸念は、科学的にも妥当な推論じゃ。」
キャラB(ギャル): 「えー、なんかそれ、超キモチワルイ話だっちゃ! ウチ、勉強のテストも嫌いだけど、性格とかやる気にまで『A判定』とか『C判定』とか付けられるの、絶対ムリだっちゃ。 『あなたは協調性が足りないのでマイナス5点です』とか言われたら、ウチなら速攻でグレるし、先生のこと嫌いになるっちゃ。人間性なんて、その時の気分とか相手によって変わるもんじゃないの?」
キャラC(侍): 「ぬぅ、御二方の言い分、一理あるでござる。 しかし、拙者の考えでは、人の真価とは『土壇場』でこそ試されるもの。紙切れの上の点数で測ろうとするから歪むのでござる。 昔の剣術道場では、師匠が弟子の立ち振る舞い、掃除の仕方、挨拶の気迫を見て、その『位(くらい)』を見定めたもの。数値ではなく、師匠という『人間』が全人格をかけて弟子を評価する。今の学校に欠けているのは、そのような『師弟の信頼』と『覚悟』なのではござらんか?」
(ここで議論が停止しました)
ファシリテーター(あなた)の番です。 議論をどう進めますか?(例:「A博士、Cさんの言う『主観的な評価』は科学的にどうですか?」や「Bさん、じゃあどうやったらやる気が出る?」など)
Bさん、じゃあどうやったらやる気が出る?
キャラB(ギャル): 「んー、やる気? そんなの『評価されるため』に出すもんじゃないっちゃ! 例えばさ、ウチが文化祭の準備ですっごいこだわって看板描いてたとするじゃん? その時に先生が通りかかって、『お、その色使いマジで神じゃん!』ってボソッと言ってくれたら、それだけで『よっしゃ、もっと凄いの描いたろ!』ってなるっちゃ。 それをさ、『あなたは芸術的感性において5段階評価の4です』とか記録された瞬間に、なんか仕事みたいになって、やる気なんか消え失せるんだよね。 大事なのは『点数』じゃなくて、その場で『見ててくれた』っていう実感だっちゃ!」
キャラA(博士): 「ふむ…Bさんの言うことは、心理学でいう『内発的動機づけ』と、それを阻害する『アンダーマイニング効果(報酬を与えると逆にやる気が下がる現象)』の典型例じゃな。 『評価』が目的化した瞬間に、純粋な興味や意欲が失われる。わしたちが恐れている『点取りゲーム化』はまさにそこじゃ。 しかしじゃ、Bさん。君が社会に出る時、君のその素晴らしい感性や頑張りを、会ったこともない面接官にどうやって伝える? 『ウチ、頑張ったんです』と言うだけでは、客観性がなかろう? そこにジレンマがあるのじゃ。」
キャラC(侍): 「A殿の言う『客観性』とやらも分かるが、拙者はB殿の『見ててくれた実感』こそが肝要だと思うでござる。 昔の武士は、主君や師匠が『見ている』と信じるからこそ、誰も見ていない所でも鍛錬した。それは点数をもらうためではなく、己の誇りのためでござる。 今の教育は、子供たちから『誇り』を奪い、『証明書』を与えようとしすぎているのではござらんか? 『証明』がなくとも、積み上げたものは己の身に宿るはずでござる。」
(ここで議論が停止しました)
ファシリテーター(あなた)の番です。 議論をどう進めますか?(例:「証明がないと就職などで困るのでは?Aさんどう思う?」や「Cさんの言う『誇り』を育てるにはどうすればいい?」など)
AIによるディスカッションの可能性
AI相手に思考を続けると、一人で考えるよりも異なる視点が得られます。
ラテラルシンキングでは、デボノ博士のシックスハット(詳しくは私にお問い合わせください)があります。
これをセルフサービスではなくAIに代行してもらえるわけです。
まとめ
AI鼎談は、異なる視点を得られる。
言葉を採用する私なので思考の偏りは完全に排除できませんが、より広く深い考察ができる点は興味深くあります。
文責:木村尚義
AIを利用したディスカッションについて
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